11/1 何曜昼柔術クラス練習日記ではない
卯月妙子という方をご存知だろうか。
AV女優として“ウンゲロミミズ”などの作品に出演し、ウンコやゲロを浴びミミズを饗し。
ストリップ女優として新宿のストリップ場の舞台で踊っていた際、突然、喉をかっ切り救急車で搬送され。
入院していた精神病院で出会った最初の夫が自殺を失敗。植物状態になった夫の看病により、幼い頃から患っていた統合失調症を更に悪化させ。
2ちゃん(現5ちゃんねる)で自分のスレがたったかと思えばすぐさま本人降臨。ホントかウソかはわからないが、小学生になった息子と近親相姦セックスをしていることを告白。
それでいて漫画やエッセイを書かせたら天下一品のおもしろさであり、これまでもいくつかの書籍を上梓しているプロの物書きでもある。
才能と狂気がごちゃ混ぜになったとはアーティストを形容する場合によくつかわれる文句であるが、それはまさにこの人のためにある言葉であるといえよう。
現在は統合失調症の更なる悪化により、突然、歩道橋から紐なしバンジー(本人の表現による)を慣行。顔面崩壊を起こしながらも九死に一生を得て、その後の経過と最愛の人ボビーとの愛の軌跡を描いた漫画“人間仮免中”が大ヒット。作品としての評価も非常に高く、今や自他共に認める有名漫画家として活躍中。東北を代表する作家である。
顔面崩壊した自分の顔を初めて病室の鏡で見た時にまず思ったことが
「こんなおもしろい顔ぜったい漫画に描かなきゃ」で、すぐさまペンをとったというから
いやはや原一男が井上光晴を全身小説家と表したように、僕は卯月妙子を全身漫画家と称したい。
中学時代、バンドブームであったことからみんなと同じように入口はユニコーンやらブルハだったにも関わらず、凝り性という性格的なものからなのかいつの間にか暴力温泉芸者やボアダムス、じゃがたらやスターリンに行き着いてしまったように
大学時代、AVを観すぎていつの間にかバクシーシ山下や平野勝之、高槻彰監督といったひたすらヌケないAVに行き着いてしまった時に観た卯月妙子出演、高槻彰監督のAV作品“便器が出るテレビ” そのワンシーン。
女性のウンコを食べてみたいという一般男性の夢を叶えるため、卯月妙子が文字通り一肌脱ぐわけだが。
その一般男性の注文もいちいち細かく(大事なことであるが)、ハイヒールを履いてボディコン姿でなければとか。膝を片方だけ曲げてするだとか、その角度も微調整したりだとか(大事なことだが)。出るところを間近で見たいだとか、その場所やアングルだとか(非常に大事なこと)…
そうこうしているうちに卯月妙子の肛門から出てきた控えめなウンコをその一般男性は興奮した顔で見つめ、おもむろにそれを手にしたかと思えばまさに選ばれし者の恍惚と不安(by前田日明、もしくは太宰治)が入り交じった何とも言えない表情で恐る恐る震えた手でそれを自らの口に運んでいった。
口の周りにべっとりとウンコをつけながら、感動からなのか苦痛からなのか判別のつかない涙で瞳を潤ませながらそれを咀嚼する男の顔を、それ以上に潤んだ瞳で見つめていた卯月妙子は
愛おしそうに男性の顔を引き寄せ、男性の口の周りについているウンコを舐め上げ、互いにその味を堪能するかのように長く濃厚な接吻を交わす。
僕は大学の頃レンタルビデオ屋でバイトをしていたので、AVならず映画も毎日3本以上は欠かさず観る習慣をつけており年間で千本以上の映画を観ていた。それでも
その当時も、そして今でも、
それを超えるキスシーンを
あれほど美しいキスシーンを、
僕は
見たことがない。
5/12 日曜昼柔術クラス練習日記
JASRAC関係のこともあるんだろうし、あまり表立って大きな声では言えないことなんですが。
普段は洋楽なんですけど、土日祝日のクラス任された時なんかはなんとなく邦楽にしてるんですね。
まあ、これも大きな声では言っちゃいけないことなんでしょうけど Youtube のおすすめ動画なんかにあがってきたアーティストの曲とかですね。見繕って。クラス時間の50分に合わせて選んだりしてね。
この日なんかは Steady & Co の “春夏秋冬” なんかで、世代なんでしょう久保さんなんかが「懐かしい!」って反応したりしてね。
先日なんかは BUCK-TICK の “JUST ONE MORE KISS” に下川原さんが反応したりしてね。おもしろいです。
Steady & Co なんて Kj が Zeebra との一件があったことから、Hip-hop 界隈からはセルアウトだみたいな評価受けてた時期もあったと思うんですけど、今はそんなことは意にも介さない世代が現れてたりして。
ZORN の Walk This Way のトラックなんてまんまあのギターリフでしょうし。まあ、めちゃくちゃいい曲ですからね、単純に。
あの頃 Zeebra に beef ふっかけられて公開処刑されたまま黙ってた降谷建志ですが。
時代は変わり、陽はまたのぼりくりかえし
いまや Norikiyo に beef ふっかけられて何も言えない Zeebra がいるという。
てことは今や作品の質、量ともにみても間違いなく Norikiyo が今のJapanese Hip-hop の王の最右翼となるんでしょうが、それにしても特筆すべきは川崎、横浜、相模原擁する神奈川 Hip-hop シーンの繁栄ぶりです。
とにかくまずは何をおいてもMACCHO OZROSAURUS ですから。レペゼン横浜ならぬ、レペゼン日本です。もはや。
若手の BAD HOP 。
意見はいろいろあるでしょうが、もちろんサイプレス上野とロベルト吉野だって。
そして、Norikiyoです。
そしてですね。
このそうそうたる神奈川 Hip-hop シーンにおいて、おそらく原石と呼べる少年がですね。
既出のサイプレス上野に
“サ上死ね”
なんて、かつては beef ふっかけてた子なんですけど。
今回、なにを感情にまかせてたいして詳しくもない Hip-hopのことについて暑苦しく、偉そうにぶってるのかといいますと。
どこか Japanese hip-hop の未来の鍵を握るような、そんな予感も抱かせてくれるこの子のことを書きたくてですね。
深夜になぐり書いちゃったわけですよ。
dodo - curtins
コイツは要チェックだぜ
…知らんけど
クラス後のフリースパーは泉山さんと久保さんと僕で3P…じゃないや3人でまわしてたんだけど。
今は盛岡に住んでる市川くんが、スパーリング見てたら我慢できなくなったらしく交ざってきた。
俺はそういうのいいからっつってたくせに、見てたら我慢できなくなって後から完全に乗り遅れた感じで3Pに交ざろうとしてるヤツみたいで、そういうところがいちいち童貞っぽいな。
5/9 木曜昼柔術クラス練習日記
吐き気がするほどロマンチックな文章になっちまったぜ。前回は。
2週間以上前の話になってしまうけれども、とはいってもこのブログ自体1ヶ月以上前の分として書いてるので時系列を把握しづらくなってしまっているが、ムンジアル(“ワールド” ブラジリアン柔術世界選手権)。
とうとう以前触れていたルースター級、
絶対王者マルファシーニの牙城が崩れました。
ムスメシすごい!!
今回ライトフェザー1階級上から過酷な減量を経てルースター級にエントリーしたマイキー・ムスメシ。
計量の時の様子が flograppling のインスタで公開されていたけど、もう計量を突破した時点で優勝したかのような喜びをみせていて。
相当、過酷な減量だったんだなと。
しかもマイキーもともとちょっとキョドったというか、割と変わった人みたいな印象を受けるのが頭坊主に丸めて身体ガリガリで目玉だけギョロリとしたまるで怪しい修行僧みたくなっていて。
これ、試合で身体動かせるんかな?と心配になるほどのやつれぶり。
それでも、師匠であるカイオ・テハをレフ判で下して勝ちあがってきた絶対王者マルファシーニを準決勝ポイントゲーム 10-8 で制し、決勝は昨年の準優勝者バルボーザにもう余裕の秒殺一本勝ちするあたりさすがのひとこと。強ぇ…
マルファシーニはムスメシとの試合後握手拒否して大ブーイングくらってたけど、橋本さんも書いてましたが
お前らの軍門には下らねぇよ、まだまだ負けちゃいねぇんだ俺はみたいな姿勢がいかにもらしくて好感持てました、僕も。
というわけで、アメリカはカリフォルニアで柔術世界一を決めている間一方
世界の片隅、ここ八戸でも奇特な柔術愛好家たちが今日も今日とてスパーリングだ。
やってることは同じなはずだが、ディテールやその強度においていったいどれ程の差があるのだろうか。
レギュラークラスをスパーリングではさむ日。
不定期に行われるこの催しは
とある人物のご提案によって開催となる。
そう、
こうこさんが、ケージスペースに入って興味深げにスパーリングを見つめているな。
このあたりからスパーリングに参加するようになってきたのかな?
昨日(6月25日)西塚さんとスパーリングして褒められてたけど。
こうこさんもこの日から約2ヶ月後、自分がまさか西塚代表とスパーやってることになろうとは想像だにしていなかったに違いあるまい。
その一歩を踏み出せば、その時はまったく頭の中に像を結んでいなかった意外な光景を目の当たりにできるということだわね。
5/8 水曜昼柔術クラス練習日記
さて、この日は写真だけ。
あとは俺の自己満足の完結だ。
「効果的な利他主義」といえば、いわゆる「最大多数最大幸福」という功利主義に端を発する考え方だと真っ先に頭をよぎるのだけれど。
なるほど、ピーター・シンガーはジョン・スチュアート・ミル、ジェレミ・ベンサムの系譜に連なる哲学者であるのでさもありなんという感じ。
幸福と人(に限らず)の快楽は計算できるものとして、すべての人間の行為を測ろうとする
まさにねえさんご指摘の通り幾分とち狂った面もあるのが功利主義者たち。
特にその祖となるジェレミ・ベンサムは自分の死体すら最大限に活用して欲しいとの思いからか、死後自分の遺体を剥製にして(銅像ではない)母校であるロンドン大学に飾っておけという遺言を残し、その遺志は実行されて現在もロンドン大学の地下倉庫にベンサムのオートアイコン(自己標本)として鎮座ましましておられるド変態だ。
ちなみに、かつては大学の玄関ロビーに一般的なブロンズの胸像がごとくドカンと鎮座おわしましていたようであるが、頭部を盗まれるなどの度重なる学生のイタズラによって不本意ながら地下倉庫に保管せざるを得なくなったというエピソードが、いかにもパンク発祥の地イギリスらしく微笑ましい気持ちにさせてくれる。
さて、利他主義といって1番わかりやすい例というのは寄付や募金の類いになるだろう。
目に見えない会ったこともない他者のために、利益を分配しようとすること。
ただ、これが案外に今の世の中で実践していくのは難しい。
おそらく僕らは自分だけが幸運に恵まれていることを無邪気に喜ぶほど愚かではないし、自分だけがかわいいような利己心の塊でもないはずなのだが、現在の社会やその様式、モードがそこから僕らを引き剥がそうと躍起になっている。
ピーター・シンガーはそれを倫理学や哲学などのアカデミズムの観点から、声高に異を唱え我々を啓蒙しようと試みているのだろう。
利他主義の反義語は利己主義だ。
今の社会の風潮やモード(思考様式)は、「人間は利己的である」と僕らに思い込ませて人と人を分断させ、
ある一部の人間に利益を得させようとする。
寄付や募金などといった類いは、現代の消費社会というシステムにおいてあってはならないものであり、無駄なものであり、革命のような危険を孕んだものだと見なされる。
なぜなら、贅沢(金銭に関することだけでなく)や浪費、そして寄付や募金は人の心に、内面に満足をもたらすからだ。
消費社会のシステムは人が満足することをよしとしない。消費社会と利己主義は切っても切れない関係にある。
「いくら消費を続けても満足はもたらされないが、消費には限界がないから、それは延々と繰り返される。延々と繰り返されるのに、満足がもたらされないから、消費は次第に過激に、過剰になっていく。しかも過剰になればなるほど、満足の欠如が強く感じられるようになる。」(國分功一郎『暇と退屈の倫理学』)
現代の社会のモードとそれによって利益を得ている人たちは、
永遠に消費をしてもらいたいから
人の内面に満足してもらいたくない。
それどころか
人の内面をないもののようにみなし、人の内面を無視して振る舞うよう働きかける。
この問題に意識的なのがまさにピーター・シンガーや國分功一郎といった哲学者たち。
そして、アカデミズムの立場からは遠く離れたといっていいか、全く別の立場の視点から
意図していたかどうかはともかく
いつものつかみどころのないのらりくらりとした文章の中に、これまた掴めそうで掴めない、答えというかこの現代のモードに異を唱える者に対する援護射撃のようなものを小説家保坂和志が書く芸術論の中に見つけることができる。
“彼ら” は他人の問題を自分の問題として引き受けない。“彼ら” は他人の内面はわからないんだと言う。もし、飢餓に苦しむアフリカの子どもの内面を私たちがわかってしまったらどうなるか?熱を出した小さい子どもを家に置いたまま仕事に出なければならない母親のように、私たちは仕事も何も手につかなくなってしまうだろう。だから他人の内面はわからない方が、わかろうとしない方がいい。それどころか他人の内面はないものとみなした方が、生きる上で都合がいい。
実際問題、
アフリカで飢餓に苦しむ子どもを、熱を出した子どもをひとり家において仕事にでなければならない母親のように感じることはどだい無理な話なのだ(だから寄付や募金は偽善である)。
と、いう考えは人間の内面を無視して、人間をただ外からだけ見て操作して、それによって利益を得ている者たちの自己正当化論だ。
ただ、
“彼ら” と言っても、その人々が仕組んだわけでなく、彼らは便乗しているだけで、人間を外からだけ見て操作している主体は、社会やシステムや時代だ。ということは時代の流れなら必然であり、我々はそれに抗えない。
と、考えるのは悲観主義だ。時代や社会なら、それはいずれ終わりがくる。終わりがきて別のことが起こる。芸術とは現状を肯定することでなく、世界や人間のあり方を断固として夢見ることだ。
夢見ることには気力も知力も体力もいる。夢見ることをやめてしまったら、ただただ現状に飲み込まれてしまう。
そしてそのために芸術は、人間の内面につく。人間には内面があることを示し、人間の内面を絶対的に擁護する。
僕らが世界と思われるものに対してできる善いと思われること。
目にみえないものへの利益の分配、自分ではないもの(他人)の内面をわかろうとすること。
アーティストたる者の定義と、世界をよくしようと試みる意義の両方がここには示されている。
話はまた戻る。
再び僕が遠藤ミチロウさんのことをメディアで目にするようになったのは 3.11後。地元福島の原発事故を受けて、なんとか自分たちミュージシャンも何か福島のためにできないかというイベントを遠藤ミチロウさん自ら率先して立ち上げて活動している姿だった。
以前の僕ならまた、何やってんだよ偽善者みたく、なんて思っていただろうか。
けど僕はその時、遠藤ミチロウさんを自分の中で遠ざけはしなかった。
もし遠ざけていたなら、今も遠藤ミチロウさんの死を知らずに過ごしていただろう。
あの頃の僕は間違っていた。
僕は、
何かを生み出し誰かの心に深く感動をきざみ、多くの人を行動させる力を持つ当事者としてのアーティストではなかったし、今ももちろんそうではない。
僕は、その世界の向かい側にいる
ただ痛みも責任も感じなくてよい場所で、批判や批評に息巻いているただの若造だった。
音楽で福島を救おうと、世界を変えようと
現状にのみ込まれず、世界や人間のあり方をより良いものにしようと断固として夢見る
アーティストとしての使命を最後まで貫いていた遠藤ミチロウさんは、
芸術家としていつだって正しくカッコよく戦っていたのだ。
僕は、間違っていた。
いつだって遠藤ミチロウは正しかったのだ。
R.I.P. Michiro Endo
5/7 火曜昼柔術クラス練習日記
5月4日の練習では、帰省中の平井さんがゴールデンウィーク中最後の練習にいらっしゃっていたので、良さんと惇平さんと4人で八食センターの勢登鮨にご飯食べに行った。
平井さん、淡路島から今度は北海道に転勤だ。
美味である。ラーメンは食べなかった。
か〜わいい〜💕💕
いい大人した幼なじみがふたり
食後のソフトクリームである。
惇平さんは減量前最後のご馳走かな。
さて、
ライブはもちろんフライヤーにもアコースティックライブと銘打たれていた通り、当たり前なのだけれど正真正銘アコギ一本で遠藤ミチロウさんが弾き語りをしていく形で進行していった。
ところどころザ・スターリン時代を思い起こさせるシャウトもあり、そういった箇所には内心 (うぉー!) と高揚していた自分が確かにいた。
ただ、ライブが始まって30分もしないうちに実はもう僕はあきらかに飽き始めていた。
正直よくわからなかったのだ。
自分が中学生の頃、神とも呼べるような存在が目の前にいる。確かにそういった存在は、時間がたつにつれ期待や幻想が膨らみすぎてしまうきらいはあるだろう。
しかし僕は前回も触れたように、ステージ上で過激な人が実際は温厚で知的な人物で遠藤ミチロウさんはまさしくそういったタイプ(県内トップの進学校福島高校から国立山形大学進学、卒業後もさまざま音楽関係の裏方を経験しザ・スターリンとして活動をし始めたのは30歳を過ぎてから。つまり他のパンクバンドにありがちな若さ故の初期衝動的な行動規範には則っておらず、あくまで計算と冷静な分析の上で行われていた確信犯的な活動であった)であることも重々理解していたはずだった。
そしてパンクからフォークという転換も、元々伝説的フォークシンガーである友部正人とも親交があったことからも、アーティストとしての振れ幅だったということも。
それでもである。
その頃の僕は20代の前半。
若くはあったが
いかんともしがたいリビドーの発散方法も身につけ、自分の限界とやらも自覚してダメな自分と折り合いをつける術も身につけたれっきとした大人を自負していたはずだった。
しかし
その同じ時期に観た他のライブは
弘前文化会館での THE HIGH-LOWS だったり、Hirosaki Magnetで観た THEE MICHELLE GUN ELEPHANT だったり、仙台 JunkBox で観た NUMBER GIRL だったり。
そんな時期だ。
どうしてもその時の遠藤ミチロウさんのライブを理解することができなかった。
正直ぬるさしか感じなかった。
そして
イライラとこれじゃない感が頂点に達した僕は
ミチロウさんが歌う名曲 “お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました” の演奏中にも関わらず、まるであてつけるかのように立ち上がり店を出てきてしまった。
怒りとかそういうんではなく、ただ単純に
もういいや
というあっさりした感情だったと思う。
とにもかくにもそれ以来、
僕は遠藤ミチロウもしくはザ・スターリンがメディアに登場しようが何しようが
関心をもったり気にするようなことは一切なくなった。
本当によくわからなかったのだ、その頃の僕は。
片田舎の場末のバーみたいなところで、30人にもみたないお客さんの前で、あの遠藤ミチロウが歌うことの意味が。全く。
5/2 木曜昼柔術クラス練習日記
ゴールデンウィーク中、いや今年度は鈴木パイセンがよくいらっしゃってくれて非常に嬉しい。
ゴールデンウィーク中はフリースパーに惇平さんやエイジさんも。
(実はまだ続いていた)
確かその頃にはもうスターリンは解散してて、その頃僕が好きだった大槻ケンヂさんとか町田町蔵さんとかが影響を受けた人物として遠藤ミチロウさんを挙げていらっしゃったので、後追いで知ったという感じだったと思う。
当時の僕は小学生の頃から続く漫画好きが
だんだんジャンルに限らず
今も割とそうなのだけれど
“なんか変なことをしている人たち”
に魅力を感じるようになり、好きなものに拡がりをみせた時期でもあった。
バンドであれば有頂天や筋肉少女帯、人生などのナゴム系。劇団であればケラがやっていた劇団健康やら松尾スズキ、宮藤官九郎が所属していた大人計画。お笑いなら竹中直人周辺のビシバシステムなど。
いわゆるメインストリームとは外れたサブカルチャー、今でいえばオルタナティブな人たちに魅力を感じる趣向にあった。それは現在も変わらない。
そして当然のごとくそんな中学生に友達はいなかった。
といいたいところだが、僕は割とスポーツがしかもサッカーという集団競技ができたため、その本来の趣味趣向のギャップに内外で苦しめられもしたが、ある程度それは救いにはなっていた。
ともあれそんなオルタナティブカルチャー界隈の人々。
全力でいい大人がふざけている姿、変なことをしている姿が
厨二病というかまさに厨二真っ盛りの僕の心に深く深く刻みこまれたのは確かだ。
そんな思春期を過ごした僕にとって、その人たちが尊敬している遠藤ミチロウさんという人はまさに神話の中の神のような存在。
大学4年時、そんな神とも呼べる人を間近で見れるとあって
大学に入ったところでそのような極めて個人的なライブ鑑賞に一緒に行ってくれる友人もおらず、ひとりライブハウスというよりはロックバーといった趣の大学正門斜め向かいのオレンジカウンティーに足を運んだのだった。
店に入ると、やはり予想通りというかライブハウスというよりはバーカウンターの奥に小上がりのカラオケを歌うステージみたいなものがあるだけの、完全なる場末の狭いバーといった雰囲気を醸し出していた。
そして目の前のカウンターにその人はいた。
僕らみたいな一般客と同じような風情で、
メイクもしてない全くの素顔の遠藤ミチロウさんが、おそらく店長だろうと思われるだろう人と「このCD(おそらくフランスのアーティストだったと思われる)とってもいいからかけてよ」みたいな何気ない会話をしていた。
僕はそんななんてことない普通っぽい小柄なおじさんを見て、さすがに間近であの遠藤ミチロウを見ることができて若干興奮していたといえども、特にがっかりするということはなかった。
というのも、そんな狂人のような過激な振る舞いをステージ上でする人が普段も狂人であるかといえばそうではなく、逆にそういった人たちの普段の様子は紳士的でインテリで知的さを持ったものだということ、そしてそのオルターエゴとして
ステージ上での振る舞いがあるということを理解できるくらいには
その頃の僕はもう大人になっていたからだ。
なので、僕はただ楽しみに
ノーメイクとはいえ髪をブロンドに染め(ブリーチし)若い頃と変わらぬ切れ長で瞳の眼光の鋭さはスターリン時代を思い出させる部分もあり、ライブが始まるのをステージの1番後ろ
といっても店自体が狭いのでステージから離れているという感じではないのだが、出入口に1番近い席に座り待っていた。
客層はやはりご年配の方が多く、大学生は僕ひとりだった。
(まだ続く、完全なる自己満足だが
あと2回分くらい)
5/1 水曜昼柔術クラス練習日記
もう1週間たっちゃいましたけど、惇平さんやりましたね。
聞くところによるとかなりの接戦だったということでしたけど、
そういうところでちゃんと勝利をひろうというのが “もってる男” ということだしね。
いやー、よかった、よかった。
それにしても
森三中の黒沢って、今パンクラスのレフェリーやってたんですね。
意外だな。
さて、令和初日も昼柔術。
ゴールデンウィーク真っ最中。
師匠の愛息、元気くんも初参戦だ。
よき親子。
クラス後フリースパー。
吉村さんはこの時まだ白帯を巻いているが、もうすでに青帯だ。
6月入っていただいたようだ。よかったよかった。
4月29日には前も言ってたんですけど、アラバキロックフェスにゆうとが出演して。
ケータリング(アーティスト専用の食事スペース)の様子を写した写真とか見せてもらったんですけど、あいみょんとか King Gnu とかお目当てアーティストの中に
「崎山(蒼志)くんの写真撮ったんですけど、隣にいるおじさん誰なんですかね?」って
…お前なぁ
まあ、世代の違いだわな。