2/21 火曜朝柔術練習日誌

 

前夜に、市川くんから借りた “ケンガンアシュラ” 全18巻(なぜか16巻だけない)を読み終え、

ついでに中3生から借りてた三浦しをんさんの “舟を編む” も読み終え、

「なんだ?この落差、、」と感じ入りながら迎えた

 

本日、週はじめの火曜朝柔術クラス。

 

 読み終えた “ケンガンアシュラ” を市川くんにお返ししようと携え道場に行ったら、

 

なんと市川くんよりも若い

弱冠19歳の元工大一高レスリング部

折川くんが火曜朝柔術初参加。ようこそ!


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さっそく道衣を着せてみました。

 

 

あとはいつもの通り30代&40代のオッサン連中揃い踏み。

 

金澤さん、マックスさん、近藤さん、佐々木さん、僕。

 
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うん、折川くん基礎運動やマット運動は大丈夫だね、すでに。

 

 

今日はサイドコントロールを念入りに確認してから、3分スパーに入りました。

 
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さすが10代のレスラー。

フィジカルが強く、スピードがあります。

 

 

しっかし、19歳。。

 

 

今朝、ZIP!小沢健二が19年ぶりにシングルをリリースするとかやってましたけど。

 

僕が19歳の頃、ちょうどオザケンが世間に打って出てピークを迎えてましたかね。

 

19っていうフォークデュオもいましたよね。326(ミツル)とかっていうイラストレーターと。懐かしい。。

 

敵でしたけど。

 

 

同時に

 

大沢樹生ヒロコ・グレースが司会してた “DANCE DANCE DANCE” って番組の世界観も完全に敵とみなしてましたけど。

 

 

当時の僕は、カート・コバーンの自殺をこじらしてボアダムスとか暴力温泉芸者なんぞをわけもわからず聴いていましたので。

 

 

まあ、それはさておき。

 

僕は今年で41歳になるんですけど、僕みたいな昭和50年生まれの人たちにとって、小沢健二という存在はかなり重要なものとして位置付けられてはいないでしょうか。

 

というのも、

僕ら昭和50年生まれの人というのは中学3年という多感な時期に、TBS系金曜夜9時のドラマ枠にて

 

予備校ブギ” と “ハイスクール落書き2” 

 

2つの象徴的なドラマの洗礼を受けているにちがいないからです。

 

この2つのドラマ。

内容においても、第二次ベビーブーマー世代が迎えた受験戦争という世相と、下火になりつつあったヤンキー文化とのコントラストが象徴的な面も確かにありますが、

最も注目すべきはその主題歌にあるような気がします。

 

 

フリッパーズギター “恋はマシンガン” 

ザ・ブルーハーツの “情熱の薔薇” です。

 

 

これ、今考えてみるとかなり象徴的じゃないでしょうか。

 

 

ちょうど僕らの先輩たちが聴いていた

イカ天やらホコ天やらを経て脈々と続いてきたバンドブームの終焉と、

打ち込みやらサンプリングを用いた極めて個人主義的な思想が見え隠れする新世代の台頭。

 

それを如実に反映した当時の選曲。

 

 

 

そして哀しいかな

僕ら世代というのは、ちょうどその狭間に立たされて

極めて中途半端な立ち位置でその後も過ごさなければならなくなったような気がします。 

 

 

 

ある者は完全にパーフリ(スーパーフリーではない)以降のオサレ渋谷系に走り、ジャミロクワイやらカーディガンズカヒミ・カリィやらピチカートファイブをわけもわからず聴き。

 

 

 

ある者は藤原ヒロシやら、高木完やら、近田春夫やらがおもしろそうなことやってるからってヒップホップをわけもわからず聴き。

 

 

 

あと、僕らみたいな体育会系リア充ウェイにも文系キモオタにもなれない中途半端な存在は、

オレらはどこにも属さないという抵抗からなのか

誰が聴くんだっていうボアダムスとか、ソニックユースとかダイナソーJr.とかを、やっぱりわけもわからず聴き。

 

 

そう、

高校時代いつも一緒にいたコージくんの家の離れで、毎夜毎夜何人かの友達となんやかんやしゃべりながら聴いていましたね。暴力温泉芸者

 

 

その離れは当時の僕らのたまり場で。

 

キーボードやギターなど楽器はありましたが、僕らはまったく不良ではなかったので

大音量でギターウルフばりにギターをかき鳴らすこともなく、かといってお酒やタバコをやるわけでもなく。

 

 

尿検査のある前日にみんなでカルピスウォーターを大量に飲んで全員検査にひっかかろうとしたり、

ブスを皆殺しにする会の役員を決めてロッカーに役職を貼ろうとしたり、

そういう極めて稲中的な悪ふざけに講じるのが主な活動内容となっていました。

 

結局、再検査にひっかかったのは僕だけでしたし、

ロッカーにブスを皆殺しにする会 “会長” というシールを勝手に貼られて職員室に呼び出されたのも僕だけでしたから、

仲間内では僕は神と崇めたてられていました。

 

 

 

そんなバカな高校生の不毛な戯れを

 

当時、中学の生徒会長&野球部のピッチャーで4番という絵にかいたような優等生のコージくんの弟が

たまにお菓子を持ってきてくれたり、

「兄ちゃん、電話」つって電話を取り次いでくれつつ、なかばあきれたような表情で僕らのことを眺めておりました。

 

 

そんな、稲中の前野と井沢のような関係も

僕が大学へ進学し、コージくんが美容師になるため京都へ行ってしまったのを機に静かに終わりを迎えることになりました。

 

 

 

ただ、離ればなれになってもコージくんが僕に与えた影響は絶大で、大学に入ってからもそういった仲間を見つけては悪ふざけをしていましたね。

 

 

コージくんのことも人づてに「電気グルーヴに弟子入りしようとしているらしい」とか聞いたりして、こちらとしても

(あいかわらずだなぁ…)

とか思ってほくそ笑んでいました。

 

 

 

そうこうしているうちに大学生活も終盤にさしかかり、高校時代の戯れも完全に忘れつつあったそんな時、僕の人生の中でも割と決定的な出来事が起こります。

 

 

(いつもながら長くなっていますので、また明日)