5/7 火曜昼柔術クラス練習日記

 

 

 

5月4日の練習では、帰省中の平井さんがゴールデンウィーク中最後の練習にいらっしゃっていたので、良さんと惇平さんと4人で八食センターの勢登鮨にご飯食べに行った。


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平井さん、淡路島から今度は北海道に転勤だ。

 

 


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美味である。ラーメンは食べなかった。

 

 



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か〜わいい〜💕💕

いい大人した幼なじみがふたり

食後のソフトクリームである。

 

惇平さんは減量前最後のご馳走かな。

 

 

ゴールデンウィーク明け一発目の火曜昼柔術クラス


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さて、

 

ライブはもちろんフライヤーにもアコースティックライブと銘打たれていた通り、当たり前なのだけれど正真正銘アコギ一本で遠藤ミチロウさんが弾き語りをしていく形で進行していった。

 

ところどころザ・スターリン時代を思い起こさせるシャウトもあり、そういった箇所には内心 (うぉー!) と高揚していた自分が確かにいた。

 

ただ、ライブが始まって30分もしないうちに実はもう僕はあきらかに飽き始めていた。

 

正直よくわからなかったのだ。

自分が中学生の頃、神とも呼べるような存在が目の前にいる。確かにそういった存在は、時間がたつにつれ期待や幻想が膨らみすぎてしまうきらいはあるだろう。

しかし僕は前回も触れたように、ステージ上で過激な人が実際は温厚で知的な人物で遠藤ミチロウさんはまさしくそういったタイプ(県内トップの進学校福島高校から国立山形大学進学、卒業後もさまざま音楽関係の裏方を経験しザ・スターリンとして活動をし始めたのは30歳を過ぎてから。つまり他のパンクバンドにありがちな若さ故の初期衝動的な行動規範には則っておらず、あくまで計算と冷静な分析の上で行われていた確信犯的な活動であった)であることも重々理解していたはずだった。

そしてパンクからフォークという転換も、元々伝説的フォークシンガーである友部正人とも親交があったことからも、アーティストとしての振れ幅だったということも。

 

 

それでもである。

 

その頃の僕は20代の前半。

 

若くはあったが

いかんともしがたいリビドーの発散方法も身につけ、自分の限界とやらも自覚してダメな自分と折り合いをつける術も身につけたれっきとした大人を自負していたはずだった。

 

しかし

その同じ時期に観た他のライブは

弘前文化会館での THE HIGH-LOWS だったり、Hirosaki Magnetで観た THEE MICHELLE GUN ELEPHANT だったり、仙台 JunkBox で観た NUMBER GIRL だったり。

 

そんな時期だ。

 

どうしてもその時の遠藤ミチロウさんのライブを理解することができなかった。

正直ぬるさしか感じなかった。

 

 

 

そして

イライラとこれじゃない感が頂点に達した僕は

 

ミチロウさんが歌う名曲 “お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました” の演奏中にも関わらず、まるであてつけるかのように立ち上がり店を出てきてしまった。

 

 

怒りとかそういうんではなく、ただ単純に

もういいや

というあっさりした感情だったと思う。

 

 

とにもかくにもそれ以来、

僕は遠藤ミチロウもしくはザ・スターリンがメディアに登場しようが何しようが

関心をもったり気にするようなことは一切なくなった。

 

 

本当によくわからなかったのだ、その頃の僕は。

 

片田舎の場末のバーみたいなところで、30人にもみたないお客さんの前で、あの遠藤ミチロウが歌うことの意味が。全く。