2/22 水曜朝柔術自主練日誌
針打つど坐骨シショウの赤坂さんは、いまだ腰の調子は思わしくないようで。
今日の自主練終わったあとも、仁志さんが
「ちょっと腰が…」とか言っていたので、
みなさんもうよいお年ですので、無理せずにいきたいもんですな!俺も!!
というわけで、本日の朝柔術自主練クラスは
中島さん、仁志さん、
そして
ブログ読み返したら10月11日以来?
4ヶ月ぶりくらい?
の大竹さんが来てくれましたー。パチパチ👏
今は転勤の内示が出る時期ということで、どうか大竹さんに出ませんよーに🙏
というわけで、4人で4分スパーリングを1時間まわしました。おす。
昨日の話の続きなんですが。
僕は大学時代、暇があればひとりで生協のブックコーナーで雑誌を立ち読みするのが好きだったんですね。
それこそ何時間でも。
いろんな雑誌を。
周りに友達がいるのもまったく気づかないくらい入り込んじゃってたんです。
たしか、PRIDE の桜庭 vs ホイスで、SAKUマシーンで入場した記事が載ってた週刊プロレスを読んだのも大学の生協でしたし、
今はなきヤングサンデーで連載してた新井英樹さんの “ザ・ワールド・イズ・マイン” で弘前中央駅が爆破されるのを興奮しながら読んでたのも大学の生協でした。
特に僕が好んで読んでいたのは、いわゆる今だと “ロキノン系” と呼ばれる rockin’on 社から出版されている雑誌ですね。
“rockin’on” とか “H” とか “CUT” とか。
まあ、音楽雑誌が中心なんですけど。アーティストのインタビュー&評論雑誌ですよね。
友達の影響もあったんですけど、それこそ一時期はむさぼるように読んでました。
“SNOOZER” とかもですね。
本来、音楽を聴くのが好きで読むんでしょうけど。
だんだん好きなアーティストのレビューを書いている音楽評論家のことが好きになっていくという。
大学に入って開花した、小林秀雄から脈々と系譜される文系オタクの悲しみ。
ちょうど格闘技が好きで PRIDE を観てたのに、煽りV作ってる佐藤大輔さんのことが好きになるのとおんなじ構図。
そんな中
あれはちょうど大学の2年から3年にあがる時期、まだ弘前公園の桜もつぼみで、やっと雪が消えた春先の出来事だったでしょうか。
いつものように講義の合間をぬって生協におもむき、本日発売の “ROCKIN’ON JAPAN” を立ち読みしようと音楽雑誌のあるラックの前で足をとめ、表紙を確認しました。
(あれ…?)
(アレ……?)
違和感というか、、あれ?
おそるおそる今号の ROCKIN’ON JAPAN を手に取り、ページをめくり始めます。
手にじっとりと汗をかき、高鳴る心臓の鼓動に気づかないフリをしながら、しばらく表紙と巻頭を飾っているアーティストのインタビュー記事を読み進めていましたが、
ほぼ前半の段階で僕の疑念は確信に変わっていたのですが、どうしても認めたくなかったのでしょう。
記事のどこかに、勘違いであって欲しいという望みを託せるような根拠を見つけ出そうと血眼になって探してたのですが。
無駄でした。
逆に、読み進めれば読み進めるほどに
間違いなく
僕が1番好きな雑誌の表紙を飾っているアーティストは
高校時代、
離れにお菓子を持ってきてくれてた
お兄ちゃんに電話を取り次いでくれてた
僕らのことをあきれた顔で眺めてくれてた
中学の生徒会長&野球部のピッチャーで4番という絵にかいたような優等生だった
19歳になって “SUPERCAR” のギターとして鮮烈なデビューを果たした
バンド解散後も
作詞家として “少女時代” を手掛けたり、
プロデューサーとして “チャットモンチー” を手掛けてた
コージくんの弟
いしわたり淳治くんだったのでした。
その時の僕の心情はいかばかりか。
悔しいやら、大学であいかわらず悪ふざけをするしか脳のない現状と比べてゾッとするやら、どうすることもできないのだけど、いてもたってもいられない複雑な心境。
知り合いが有名人になるって、なんともいえずむず痒いんだか、とりあえずまったく絶対素直に喜べない!
これがまた曲も良かったんだ。。
ちょうど僕らが離れで好んで聴いていた、“My Bloody Valentine” やら “RIDE” やらのシューゲイザーと呼ばれる UK ギターバンドを上手く消化した感じで。
また、それが悔しくて。。
カミングアウトしますけど、
前に道場のBGMには洋楽がいいんだっていう理由やら僕が洋楽しか聴かない理由を、なんだかいかにもそれっぽくぶってましたけど。
僕が邦楽を二度と聴かなくなったのは、このせいです。
ひじょーーーに、女々しいんですけど。。
だって聴けますか?
カウントダウンTVで知り合いが歌っている曲を。
ちなみに僕がテレビを二度と観なくなったのも、じゅんじくんのせいです。
だって観れますか?
音楽プロデューサーとして、親友の弟がセブンスターのCMに出ているのを。
僕はムリ。
特にその時の僕は、なんの取り柄もない、田舎の冴えない大学生。
友達の弟の輝かしいサクセスストーリーなんて、当時の僕には眩しすぎて見れるもんじゃなかった。
ちなみに、僕が小学校の時に一緒にサッカーをやっていた同級生で、
後にJリーグの黎明期鹿島アントラーズのMFだった熊谷浩二という男がいるんですけど。
僕がサッカーから遠ざかった理由もおそらく、、
一度地元の総体の更衣室で会ったんですけど、
「沼田ってバスケ部だったよね」
って言われて、
(お前と一緒にサッカーやってたんだけどな…)
って思ったんだけど、なんか悔しくて意地はって
「あぁ…うん」
って言ったのも、情けなかったなー。
いややわー。
なんで、こんな話に。。
夜遅いからか、、
おやすみなさい